『「形」と「気」-2』では、三部九候論の「形・気・脈」を比較対照する診法について見て置いたのですが、通評虚実論もこれと似た理論構造を持っています。三部九候論を見て、より理解し易く為ったと思うので、また「虚実」の解説へと話の筋を戻します。

虚実篇


蔵書印

➀「虚実は、元々は兵法の概念で、後に医学に転用された。『孫子』の兵勢篇は「兵ノ加ハル所、鐸(タン:重く堅い石)ヺ以テ卵ニ投ズルガ如キハ虚実是ナリ」といい、虚実篇では「兵ノ形ハ実ヺ避ケテ虚ヺ撃ツ」という。これらは常識で判る概念として「虚実」を用い特別な概念規定はしていない。『素問』より少し前と推測される倉公の医学では、まだ「虚実」概念は確立していない。『史記』倉公伝の手記の部分には虚実という言葉は使用されていない。実に対応するのは「過」である様に思われる。一方「淫」の字には過甚の意味があるという。そして、『素問』では淫気という言葉を邪気の意味で使っている篇がある。 「過」と「淫」と「邪」がつながると、倉公伝の「過」は「邪」のことであるとも読める。『孫子』の影響を強く受けた「九鍼十二原」篇では「虚実」という言葉は三通りに使われている。第一は患者の状態で「虛すれば則ち之を実す」の虛(狭義)の様に使う。第二は現在の「補泻」の意味で「虛すれば則ち之を実す」の実とか、「邪勝てば則ち之を虛す」の虛の様に使う。もちろろん別に「補泻」ということばも使っている。第三は補泻の結果を示し、「徐にして疾ならば則ち実す」の実の様に使う。「九鍼十二原」篇での「虚実」はこの様に広義で、まだ広く自由に使われ、現在の様な狭義の使用方に限定されてはいない。また「九鍼十二原」篇では虚と実のどちらであるかだけを判定するのではなく、四つの状態のいずれであるかを考えようとする。すなわち「虛すれば則ち之を実し、満なれば則ち之を泄し、宛陳すれば則ち之を除き、邪勝てば則ち之を虛す」。それが狭義の「虚実」概念が確立すると「満」、「宛陳」、「邪」は全て「実」で表現される。」
                          (『素問医学の世界』145~146頁)

(以下、「虚実」の原点-2に続く。)