「虚実の考証」について、素人向けの解りやすい解説を乞う旨のコメントを頂きました。当院で受療された事のある患者様としてキチンと名乗られた上でのご要望です。また当ブログへの初コメントでも有り、大切にお答えしたいと思いますので、その善し悪し「解ったか?否か?」は、またコメントして頂ける様に期待します。では早速その解説に挑戦して行きます。
 日中の伝統医学では、鍼灸と湯液(薬物療法)で共に「虚実への補瀉」は治療の基礎です。しかし、その「虚実」概念には変遷と混乱があります。

図1

 「虚実の定義」は、従来は『素問』通評虚実論の条文(上記powerpoint画像参照)を古典的根拠として踏襲して来ました。先ずは、その定説の解釈を確認して置きましょう(➀)

➀通評虚実論(S28) 「黄帝問曰、何謂虚実。岐伯対曰、邪気盛則実、精気奪則虚。」
 訓読:黄帝問イテ曰ク、何ヲカ虚実ト謂ハン。岐伯対エテ曰ク、邪気盛ンナレバ則チ実シ、精気奪ワレレバ則チ虚ス、ト。
 定説の意釈:黄帝が「どの様な事を虚実と言うのか?」と問いました。岐伯が「邪気が盛んな
らば実で、精気が奪われれば虚です」と答えました。

 考証学の先達である藤木俊郎先生(以下、敬称略)の解釈を、次に要約引用します。(➁)

➁そもそも、虚実の「定義文」だったのか?
「この(「通評虚実論」の)篇名は1条の虚実を論じているとも思われる所から出ていると思われる。この「邪気盛んなるときは実す、精気奪はるときは虚す」という文の歴史的な意味を検討したい。原著者はここの虚実には重要な意味を持たせていなかったかも知れない。この虚実は、単に脈状のことであるかも知れない。すなわち脈状が実であるときには邪気が入って居ると考え、脈状が虛であるときには精気が衰えて居るというだけの意味であるという程度の気持ちで書かれたと思われる。しかし、歴史的な機運としては補寫の前提となる虛実の概念を確立しなければならない時期の直前にこの篇が作成されたのではなかったかと思われる。その為に虚実の基本概念を規定するものとして引用されて現在に至るまで教えられている。」(藤木俊郎『素問医学の世界』、績文堂p144~145より)

(以下、「虚実」の常識?-2に続く。)