前回(「大気に響く定常波-13」)最後部で「荘子には虚言癖あるいは妄想癖があったとみるべきであり、その言葉には用心して接することが必要でしょう。」という無視出来ない意見が提示されていました。
その理由としては「呼吸というものが単なる空気の出入りのことではなく、より深い身体の深部感覚に及ぶことが明らかにされています。その呼吸の位置として身体の最下部である踵を提示したり、真人を妄想したりしている」所が挙げられて居ます。
これをもっと解り易く、日常語に置き換えて補足資料(⑩~)も加えながら考えてみましょう。先先ず「妄想している真人とは?」について資料(⑩)を見て置きましょう。
⑩『素問』上古天眞論篇「夫道者.能却老而全形.身年雖壽.能生子也。
これをもっと解り易く、日常語に置き換えて補足資料(⑩~)も加えながら考えてみましょう。先先ず「妄想している真人とは?」について資料(⑩)を見て置きましょう。
⑩『素問』上古天眞論篇「夫道者.能却老而全形.身年雖壽.能生子也。
黄帝曰.余聞上古有眞人者、提挈天地.把握陰陽.呼吸精氣.獨立守神.
肌肉若一。故能壽敝天地.無有終時.此其道生。中古之時.有至人者~」
訓読:夫レ道者.能ク老ヺ却ケテ形ヺ全ウシ.身年ハ壽シト雖モ.能ク子ヺ生ズルナリ。黄帝曰ク.余聞ク上古ニ眞人トイウ者有り.天地ト提挈シ.陰陽ヺ把握シ.精呼吸呼吸シ.獨立シテ神ヺ守ル.肌肉一ナル若シ。故ニ能ク壽ハ天地二敝シ.終ル時有ルコト無シ.此レ其ノ道ヺ生ズル。中古ノ時.至人トイウ者有リ~
意釈:(養生の)道者は.老化をよく却けて身体を全うし.長年生きてもよく子作りができる。黄帝がお話になりました。余はこう言うことを聞いている。上古に真人(シンジン)と呼ばれる、精気の欠けめ無く充実している者が居たと。その者一切の行動は、天地自然の法則を理解し、しっかりと自然と手を取り合い、陰陽の働きをよく認識して身につけ、精気を呼吸していた。それは、他の力に頼ることなく自己の修養によって陰陽の変化自然の働きにピッタリと順応して惑う事がない人であった。そのおかげで、その肌は、滑(ナメ)らかにして、艶(ツヤ)があり、張りがあって若々しかったと。それ故に、その寿命は天地を覆う程に広大無窮で何歳になっても終わることがなかった。これと言うのも、彼、真人の平素の修養が完璧で宇宙大自然の法則が身体の中に脈々として生きているからである。中古の時代には、至人という者が居ました~。
(以下、大気に響く定常波-15に続く。)