蓬松養生院(旧・柳原はりきゅう院)

「森立之研究会」や「伝統医療游の会」など、伝統医学の古典考証や研究を綴ります。

天地への「行気」(14)、大気に響く定常波-14

 前回(「大気に響く定常波-13」)最後部で「荘子には虚言癖あるいは妄想癖があったとみるべきであり、その言葉には用心して接することが必要でしょう。」という無視出来ない意見が提示されていました。
 その理由としては「呼吸というものが単なる空気の出入りのことではなく、より深い身体の深部感覚に及ぶことが明らかにされています。その呼吸の位置として身体の最下部である踵を提示したり、真人を妄想したりしている」所が挙げられて居ます。
  これをもっと解り易く、日常語に置き換えて補足資料(⑩~)も加えながら考えてみましょう。先先ず「妄想している真人とは?」について資料(⑩)を見て置きましょう。

⑩『素問』上古天眞論篇夫道者.能却老而全形.身年雖壽.能生子也。
黄帝曰.余聞上古有眞人者、提挈天地.把握陰陽.呼吸精氣.獨立守神.
肌肉若一。故能壽敝天地.無有終時.此其道生。
中古之時.有至人者~」

  訓読:夫レ道者.能ク老ヺ却ケテ形ヺ全ウシ.身年ハ壽シト雖モ.能ク子ヺ生ズルナリ黄帝曰ク.余聞ク上古ニ眞人トイウ者有り.天地ト提挈シ.陰陽ヺ把握シ.精呼吸呼吸シ.獨立シテ神ヺ守ル.肌肉一ナル若シ。故ニ能ク壽天地二敝シ.終ル時有ルコト無シ.此レ其ノ道ヺ生ズル。中古ノ時.至人トイウ者有リ~


意釈:(養生の)道者
老化をよく却けて身体を全うし.長年生きてもよく子作りができる黄帝がお話になりました。余はこう言うことを聞いている。上古に真人(シンジン)と呼ばれる、精気の欠けめ無く充実している者が居たと。その者一切の行動は、天地自然の法則を理解し、しっかりと自然と手を取り合い、陰陽の働きをよく認識して身につけ、精気を呼吸していた。それは、他の力に頼ることなく自己の修養によって陰陽の変化自然の働きにピッタリと順応して惑う事がない人であった。そのおかげで、その肌は、滑(ナメ)らかにして、艶(ツヤ)があり、張りがあって若々しかったと。それ故に、その寿命は天地を覆う程に広大無窮で何歳になっても終わることがなかった。これと言うのも、彼、真人の平素の修養が完璧で宇宙大自然の法則が身体の中に脈々として生きているからである。中古の時代には、至人という者が居ました~。                             




(以下、大気に響く定常波-15に続く。)

 天地への「行気」(13)、大気に響く定常波-13

 もう一つのキーワード「踵息」の出典を先ず挙げます(⑨)。

⑨『荘子』大宗師篇「古之真人、其寝不夢、其覚無憂、其食不甘、其息深深。真人之息
以踵、衆人之息以喉、屈服者其隘言若哇。其嗜欲深者、其天機浅。」

訓読:古ノ真人ハ、ソノ寝ヌルヤ夢ミズ、ソノ覚ムルヤ憂イ無シ。ソノ食ハ甘カラズ、ソ
ノ息ハ深深タリ。真人ハ踵ヺ以テ息シ、衆人ハ喉ヺ以テ息シ、屈服者ハ嗌ビ言ウコト哇
クガ若シ。嗜欲深キ者ハ、ソノ天ノ機浅シ。

意釈:古の真人は、寝ても夢を見ないし、目覚めても憂いを抱かず、食も美味に拘らず、
息は深々としていました。真人の息は踵まで(天の気を)通す位に深いが、凡人の息は
喉までしか届かず、屈服者の嗌からの言い方はまるで吐く様です。欲深い者は、天の(気
が巡る)機序が浅いのです。

訳注(荘子:金谷治.岩波文庫より):むかしの真人は〔雑念がないから〕その眠っているときに夢を見ず、目覚めているときに心配ごとがなく、ものを食べてもうまいものにひかれることがなく、その呼吸は深くて安らかであった。真人の呼吸は深深とかがとからするものだが、凡人の呼吸はのどもとでしている。』。呼吸というものが単なる空気の出入りのことではなく、より深い身体の深部感覚に及ぶことが明らかにされています。その呼吸の位置として身体の最下部である踵を提示したり、真人を妄想したりしているところからみると、荘子には虚言癖あるいは妄想癖があったとみるべきであり、その言葉には用心して接することが必要でしょう。

(以下、大気に響く定常波-14に続く。)

 天地への「行気」(12)、大気に響く定常波-12

 エリコ様、前回への「先生昔は音叉にくるってましたよね⁉️くるふしとかかかとに音叉をあててましたよね。音叉をどういう考えで使っていたのか教えてください。」とのコメント、ありがとうございました。「昔やたらと音叉を踝と踵に当てて居た」のは確かです。どういう考えで使っていたのかを述べますが、キーワードが二つ在ります。それは「弾踝診」と「踵息」の二つです。
 先ず「弾踝診」とは?から述べます。『素問』三部九候論(⑧)には踝(クルブシ)を指で弾いた振動が脛骨上を遠くまで伝わる方が精気が充実していると診る方法(「弾踝診」と仮称)が記載されています。

⑧.『素問』三部九候論「以左手足上(甲乙、全元起本、無上一字)上、去踝五寸按之、庶(甲乙、全元起本、無庶字)右手足(甲乙、全元起本、無足字)当踝而弾之。其応過五寸以上、蠕蠕然者不病。其応疾、中手渾渾然者病。中手徐徐然者病。其応上不能至五寸、弾之不応者死。」
 訓読:左手ヺモッテ足ノ上、踝ヺ去ルコト五寸デ之ヺ按ジ、右手ヺ踝ニ当テテ之ヺ弾ク。其ノ応五寸以上ヺ過ギ、蠕蠕(ジュジュ)然タル者ハ病マズ。其ノ応疾ク、手ニ中ルコト渾渾(コンコン)然タル者ハ病ム。手ニ中ルコト徐徐(ジョジョ)然タル者ハ病ム。其ノ応上リ五寸ニ至ルコト能ワズ、之ヺ弾クモ応ゼザル者ハ死ス。
 意釈:患者の足の踝 の上方に五寸の所を左手で押さえ、右手を踝に当てて弾いてその振動が五寸以上を過ぎても虫が蠢く様にウネウネ(蠕蠕然)と伝わって来る場合は正常です。伝わるのが速くて、手応えが水の乱流が渦巻く様にコンコン(渾渾然)としている場合は病的です。手応えが緩慢でユルユル(徐徐然)している場合も病的です。その手応えが五寸上に届かず踝を弾いても反応を感じない場合は死の兆候です。

 本来なら、指で弾くこと自体にも相当の修練を要すると考えるべきですが、音叉を導入すれば一定の振動を起こす事は遙かに容易です。私は、共鳴感覚を磨こう!との発想で治療に「音叉」を導入しましたが、その時に変化が出やすい事として 100 ~ 200Hz くらいで振動中の音叉を踵や踝に当てると、当てた所の骨が唸る様な音を発する事を発見しました(周囲が凝り固まっていると鳴りません。有志の追試を希む!)。
 「気滞」の症候である「凝り」で周囲が固まって(古典的に言えば「気が滞って」)いた時には鳴らなかった所が、凝りが緩む(「気滞が軽減する」)と音を発する現象を、「気の通りが良ければ音も伝導し易い」と解釈する事は可能です(追論を望む!)。そして可聴域の音であれば、術者だけに判るのでは無く、患者とも共有可能な感覚となるので、脈診より説得力を持つと思ったのです。


(以下、大気に響く定常波-13に続く。)

プロフィール
山口秀敏

関東鍼灸専門学校卒

東京医療専門学校
 鍼灸教員養成科卒

信州医療福祉専門学校付属
光和はりきゅう院 元院長

2000年に岡田研吉氏、岩井祐泉氏と森立之研究会を発足し、現在は事務局長兼講師。

「伝統医療 游の会」を会長・松田博公先生、副会長、故・杉山勲先生・足立繁久先生達と設立し、事務局長兼講師。



長野市若穂の鍼灸院
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